備忘録

心地よい生き方を希求するHSS型HSPの日常、思うこと

"優しさ"とはなにか。

「優しい人」とは、どういう人のことを表す言葉なのか。

自分自身はどうありたいのか。

さらに、それと関連して興味関心について、現在の私の考えを記してみます。

 


日常生活で関わる人たちからは、
私は、ありがたいことに、優しい、おだやか、というイメージを持ってもらえることが多い。


その表面的な「優しさ」は負の感情を表に出さないからだと思うけれど、
それは、私がは「興味関心が自分自身に向く」タイプだからこそだと理解している。

他人に興味を持ちにくいからこそ、他人の行動がいい意味で気にならず、悪い印象を抱くこともない、ということ。

常識や偏見に変にとらわれることもないので、
そうしてフラットな視点で相手を見て、関わることができると。

(このあたりは、後ほどいろいろ話すとします。)

 

ただ、これはあくまでも「優しそうに見える人」というだけであって。


次には、こうすることが相手のためになる、と ” 自分 ” が感じた行動をとることも
一種の「優しさ」のかたちですね。

しかしながら、それは受け取り側が押しつけがましい、ズレている、と感じた時点で
「自己満足」に変わってしまうリスクがある。


そう見えるタイプの人には
自分本位で考えを押し付けようとしている人と、本当によかれと思って行動している(が裏目に出ている)人とに
分かれるかと思いますが、私は後者の人がわりかし好きです。


本当に大切に思う人に対してであれば
時にはマイナスな意見でもきちんと伝えることが必要だと思うけれど、
基本的には、自分自身が言うほうではないので
「叱ってくれる優しさ」を持っている人って魅力的だな、と強く感じるので。

モラハラ的なそれとの違いは判断できている・・・つもり。

 

そして、最終的には、自分の取った行動で受け取り側に「この人って優しいな」と感じてもらえること。

自分の優しさをそのまま正しい意味で受け取ってもらえること、というのかな。

それが理想的な「優しい人」の在り方だな、と思いますね。


思ってもいないお世辞を言うだとか、無理やり相手に合わせるような行動は違うけれど
可能な範囲で、相手が望んでいる角度からアプローチすること。

相手をよく見極めて(わかった気になるのは違うというのは重々理解しつつ)、
できるだけ個々に寄り添った言葉や行動を取れるようになりたいものです。


自分がこうしたいと思うことでも、やはり相手に求められていないと感じたら踏み込めないし
私と関わることで相手にメリットはあるのか、ということを考え始めたら
気が付けば、プライベートで一対一の人間関係を築くことがめちゃくちゃ下手になってしまった。

唯一、仕事上の関わりでは多少なりともプラスの影響を与えられる自信があるので
いくらか積極的に向かっていけるかな。


ただ、どんな行動であれ、私は「自分のためにしてくれた」気持ちが心の底から嬉しいので
この人のためにこれがしたい!という気持ち主導で行動できる人を
そういう人こそが本当に優しいんじゃないか、と感じたりもしますね。

人それぞれ。

 

 

さて、先に話題に挙げた「他人に興味を持ちにくい」や
自分の興味関心についての話ですが。


自分自身という ” 個 ” の生き方、信念や充足感とか
そういったものを日々考える。

誰しも、自分自身が人生の主人公に違いないわけで、そこに興味関心が強いのは当然のことで。


ただ、自分自身の幸せを自らで創り出そうという傾向が強いか、
それとも、それを第三者に求めようとするか、
という点で分かれてくるのかな。

 

前者について、好意的にとらえれば「自立している」になるのだと思う。

とはいえ、どこまでも自分ひとりの世界に深く沈み込んでしまうこともできるし
非常に自己完結的な考えに至ったりもする。

その行為は、とても不健全なようにも感じる。

生きやすく、生きづらい。


自分にないものを持っているからか、ストレートに他人に喜怒哀楽をぶつけられる人のほうが
魅力的というか、人間らしいなと感じたりもしますね。
喜と楽は、自分でも素直に表現するように意識してはいるけども。

 


ただ、興味がわかないものに対してでも
いろいろな角度から見つめることで、自分なりに響くポイントを見つけることができるな、ということを
最近あらためて感じることができたのはひとつ成長。

 

例えば、私は「旅行」というもの自体に興味はわかない。


その土地の美しい名所を見る、おいしいものを食べる、現地の人と触れ合う、
それらの行為そのものにはさほど魅力を感じない。

旅行にかかる労力やお金を考慮したときに、それに見合ったメリットを感じられないのかな。


自分が一緒にいて心地いい相手と行く旅行なら楽しいけれど、
それは好きな相手と過ごす時間をよりよいものにするための調味料としての役割だし
他人ありきの気持ちである。

ただ、「日本一周」というミッションを掲げてみたら
ゲーム感覚で楽しく旅に出ることができるかもしれないな、と感じたわけです。

 

また、私は「料理を作る」ことそのものは好きだけれども
自分自身はあまり食に関心がない。

だから、おいしく食べてくれる相手がいるのであれば
「作りたい」気持ちが動かされるものの、それも他人ありきであり。

自分主導で考えると、せめてSNS等に作った料理を上げることで第三者に見てもらえる機会があれば
少しはやる気が出るかもしれないな、と思ってみたりとか。


そんな具合。

けっきょく、何事もそういうことですよね、と感じた今日このごろ。

ただ、この ” 究極的になんでも自分ひとりで完結させようとする ” 考え方は
自分でもどうかと思いつつ。


まあ、そんな不器用さも含めて、私。